★俺-gerorine-
なお、「gerorine」というハンドルネームは現時点では「通称」であり、正式名称は「gerori:A the gerorine」(げろりあ・ザ・ゲロリン)という公式見解を今してみた。
本職はキャラクター業界でWeb製作関係みたいな事。長男。独身。仮性童貞。鬱病。前科は無いが自称「前科一犯みたいなもの」。退学2回。ヘビースモーカー。体重もヘビー。でかい体型とライトモヒカン風坊主頭がトレードマークだが、気が付くと普通の坊主頭になっている事もある。
愛称は「ゲロさん」「リソ」「ジュンくん」など。
SNS関係の自己紹介欄には大体「いぶし銀を目指しています」と書いているが、元々は某プロレスライターM.S氏がgerorineを見て「彼っていぶし銀だよね」と言っていたのを人づてに聞いて、それを流用しただけという説が有る。
バックグラウンド
- 中学の頃、「イカ天」を見たのをきっかけに、いわゆる「インディーズ系」のバンドに興味を持ち始める。
- 高校の頃に三軒茶屋のレコード店「フジヤマ」と出会い、その濃厚な空気に衝撃を受け、「価値観の基準」をちょっと間違った方向に植え付けてしまう。以来サブカルチャー的な何かに目覚めていく。
- 好きな音楽はザ・スターリン、the原爆オナニーズ、あぶらだこ、ハイテクノロジースーサイド、非常階段、ミヤマGt.等など…
- また、ハイテクノロジースーサイドのライブで見たミスターポーゴに衝撃を受け、当時注目されていたプロレス団体W★INGにもハマり、そこからプロレスヲタの道も歩む。その後松永光弘のデスマッチ理論にハマり、松永信者と自認するまでに至る。
- 高校の頃よりエロマンガ誌を(勿論オカズとして)読んでいたが、専門学校時代に「漫画クリスティ」と「COMICアットーテキ」と出会い、町野変丸や早見純、玉置勉強、駕籠真太郎、みかりんなどの漫画に衝撃を受ける。更にそこでゴブリン(ゴブリン森口)が描いていたW★ING四コマ漫画の影響もあり、出版していた一水社のエロ漫画はその後も積極的に買っていった。
- 更に、COMICアットーテキの広告でワンダーフェスティバル(ワンフェス)に出るという告知を見て、ワンフェスにも興味を持ち、以来10年以上通う。
- また、ワンフェス上で後に自分が所属する事になる会社の存在を知る事にもなり、また、「着ぐるみコスプレ」にも出会うなど、ワンフェスからも様々な影響を受けている。
- 96年頃より「GON!」「QUICK JAPAN」「危ない1号」などの影響から更にサブカルチャーへ傾倒していった感じが有り、その中でも「漫画」に興味を見つけ、「バイオレンスジャック」「アストロ球団」そして「はだしのゲン」などを何度も読むようになる。また、この時期は「エヴァンゲリオン」が流行した時期でもあり、自身も例に漏れずエヴァや「少女革命ウテナ」を見るようになったが、アニメは正直そのくらいだった。
経歴
- 1975年に青森県弘前市で生誕、しかしその後すぐ千葉県に引っ越した為、出身地を青森にすべきか千葉にすべきか迷っている。
- 初めてのオナニーは小5の頃、篠山紀信の「100人の女ともだち」で原田美枝子のヌードを見ながらごく自然のなりゆきで覚えた。しかしそれがいわゆる「オナニー」と知るまでに3年はかかり、何かの病気だと思っていた。がオナニー癖が治らず本人も実はさほど不安に思っていなかったらしい。
- 部活は中学時代はバスケ部に入っていたが、高校が体育会系の高校だったのと体育会系の厳しい練習がキツいと感じ、高校はそのまま演劇部に入った。演劇部時代にはファンも居たらしいが、それを知ったのは卒業してからだったり、他校の演劇部女子からの誘いを何故か断ったり、見事なフラグクラッシャーっぷりだった。
- 専門学校時代は授業中にエロ漫画を読んだり、遅刻しまくったり、酔った勢いで夜中の学校に入り込んでベンチを壊したりと単なるバカだった。当然の結果として専門学校は中退。
- 専門時代から社会人を始めて3年くらいまでは、酒癖が結構悪く、文句も無いのにカラオケセットを叩いたり吐きまくったり絡みまくったりしていた。元々ハンドルネームの「gerorine」は、それを戒めるが故の名前だというのが元々のルーツという説が有る。
- 一時期風俗に通っていた。しかしそれが元で浪費癖がつき、SEX観もねじれてしまったようだ。当然童貞喪失は船橋の本サロでババァ相手という情けなさMAXの歴史だけが残った。彼女も「なんとなく」募集中という体たらくなのでモテる訳が無い。
- 96年7月、インターネットとNifty-Sreveを始める。当初はNiftyのゲーム系フォーラムに有ったフリートーク会議室でシモネタばかり書いて、よく怒られていた。
- 98年9月、大日本プロレスでの蛍光灯デスマッチ観戦中、蛍光灯の破片が左目に直撃し、まぶたと結膜を縫う大怪我を負う。俗に言う「蛍光灯事件」。その後この話はネタとして何かと持ち出してくる。ちなみにそれ以降も、松永光弘にサーベルで思いっきり殴打される事が有った。
- 2000年秋より2005年11月まで東京都の祐天寺に住んでいたが、そこで生活能力の乏しさに3年かけてやっと気がつくという頭の悪さを発揮、生活が苦しくなり、まあ表立って書けない事が色々重なって、当時働いていた会社を辞めると共に実家に帰って隠居生活を1年以上やる破目になる。
- 2001年頃より「1995 GENPRODUCTION」に入り浸るようになる。今までのネット観を全て覆す「はだしのゲン公式サイト」はその後のネットの歩き方を一変させてしまう。
- 2004年4月にmixi入会、4桁IDはちょっとした自慢だが、正直なところ足あとのスピードは遅い。
- 2004年8月より「街の灯」ボランティアライターになる。しかしあまり仕事していなくいつも申し訳なく思っている。
- 2007年1月より社会復帰したはいいが、まだニート時代の感覚が抜けてないのが目下の悩み。2007年9月現在、正直宙ぶらりん状態。
-以降随時Wikipediaみたいに修正するってよ!